「俺らの時は(も)ひどかった」

一番やってはいけないことは、「自分たちがされた理不尽なこと」をそのまま新人にも同じようにやってしまうことである。こういった負の連鎖は、どこかで断ち切らなければずっと続く。これは理不尽なことを自分と同じように強要される新人のためにもならないし、理不尽がずっと続いていくことを考えると組織のためにもならない。自分の時にされて意味がなかった、理不尽に感じたということがあるのであれば、ぜひこの機会に断ち切ってほしい。新入社員に対する「敬意」を忘れるな - 脱社畜ブログ


まさしく。
「俺らの時はもっとひどかった」、「俺らが若い頃もこうだった」(からの「だからおまえもやれ、我慢しろ」)などという台詞は、都市伝説かと思っていたら、フルタイムで働き始めから何回も聞くことになって驚いた。これらの台詞にいらっとくるワケを理屈っぽく考えてみた。

  • 「俺らの時はもっとひどかった」

過去のできごと、そして現状で残っているものごと(慣習など)を「ひどい」と認識しているにもかかわらず、それを解決・改善しようとしていない点がとても不愉快。常日頃、「仕事は問題解決なんだぞ!」・「課題を解決しろ、改善しろ」などと宣っているひとが「俺らの時はもっとひどかったんだからな!」というのだからタチが悪い。

  • 「俺らが若い頃もこうだった」

「おまえはつらい・嫌だなどと言うがこれが普通なんだぞ!」といいたいのだろうが、そのものごとを疑ってかかる態度というか、批判的思考・姿勢の欠如が不愉快。そうやって仕事も「前年の踏襲で」と言い続けてろ。

  • 「だからおまえもやれ、我慢しろ」

「俺はつらい思いした」だから「おまえも我慢しろ」
このロジックの意味がわからなすぎ。



自分の若い頃・新人の頃の辛かった経験を「だからおまえも」と悪しき伝統を押しつける正当化に利用するのではなく、その伝統を断ち切る動機付けにしたい。