【読書】『近代絵画史―ゴヤからモンドリアンまで (下) 』

【読書】『近代絵画史―ゴヤからモンドリアンまで (上) 』の下巻をよんだ。


上巻では

現代絵画の本丸にはいっていく前段階、いわばルネサンス以来の伝統の破壊とそこから生まれてくる現代絵画の萌芽に焦点を当てている

と書いた。下巻ではそのたちあらわれてきた現代絵画の発展を追っている。

下巻の「わかりにくさ」

ロマン主義印象派印象派がもたらした形態・写実主義の崩壊、画面の平面性の強調・・・
これらが表現主義キュビスムシュルレアリスム・抽象主義へとつながっている。あいかわらず高階氏の解説は明快でわかりやすい。しかしどうも上巻とは違う、なにかごちゃごちゃしていて「わかりにくさ」を感じるのが下巻だった。

その理由を考えてみると、「写実主義の崩壊」という軸がありながらそれを源流とする各支流が多様だからではないかと思った。
つまりこうだ。

後期印象派から世紀末芸術の豊かな混乱を経て、表現主義、フォービスム、キュビスムと展開していく二十世紀絵画の歩みは、そのきわめて多様な表われ方にもかかわらず、印象派において頂点に達する写実主義の流れと正反対の方向に向かっているという点で共通するものを持っていた
(p. 98)

印象派以降の画家たちが「写実主義の破産」・「反写実主義」から出発しているのだが、その表われ方は表現主義、フォービスム、キュビスム・・・と多様だ。その多様さ故に、「いったいどこへいくのだろう、どうひろがっていくのだろう」という不安を覚える。この多様性・不安が下巻を読む中での「わかりにくさ」の原因だと思った。

現代絵画の歴史的経緯

本書・上下巻を読んで、現代絵画にいたるまで「歴史の摂理」が働いている、ということがおぼろげながら理解できた。

私はこれまで、現代絵画(キュビスムから抽象絵画まで)の画家というのは、ちょっと「アタマがおかしい、ぶっとんだひとたち」だとおもっていた。そういったぶっとんだひとたちが、ぶっとんでいるがゆえに、どこからともなく生み出したものが現代絵画だと思っていた。「まったく、写実的な絵を描いてくれればこっちもきれいだなーと思うのに、画家っていうのはどうも人と違うものを描きたいらしい、だから写真のような絵ではなく、あんな抽象的で意味のわからないものを描いているんだろう」とも思っていた。

本書を読めばそれは誤りであることがよくわかる。

ひとことでいえば、印象派以降、絵画は「写実主義」に安住できなくなったのだ。
印象派写実主義を追求するあまり、写実主義を崩壊させてしまった。それ以降の画家は、写実主義が崩壊した荒野に、新たな様式を打ち立てていく必要があった。抽象絵画は奇を衒っているわけではなく、写実主義崩壊後の絵画におけるひとつの(いや複数の、多様な)答えなのだと。

索引がついている

下巻には上下巻あわせた、人名・作品名の索引が付いている。索引好きの私としてはこれで本書の評価は(ただでさえ高いが)うなぎ登りである。
ただし、事項は対象になっておらず、この点が非常に残念だ。下巻に何度も登場する「ダダ」の運動などの事項で引いてみたかった。