【読書】『日本近代史』/日本近代史の復習 ―大政奉還と王政復古の大号令とか―

最近、歴史の勉強をしているのだが、そのなかで気づいたことというか、日本近代史についてよく理解していなかった部分が結構あることがわかった*1。それについてのメモと日本近代史 (ちくま新書)の感想。

大政奉還」と「王政復古の大号令」について

私の従来の理解はこうだ。

江戸幕府第15代将軍の徳川慶喜さんはペリー先輩などの外国勢力、内政の混乱があり、このまま徳川江戸幕府で日本を統治していくのは難しいと判断し、朝廷に「大政奉還」し、政権を徳川君から返してもらった朝廷は「徳川君が政権返してくれたよ-!よーし今度から朝廷ががんばって日本でっかくするで-!王政復古の大号令や-!!」ということで明治維新が起き日本始まったなー!

要は、「大政奉還」と「王政復古の大号令」は政権委譲において連続して、かつ比較的平和的に行われた出来事だった、と思っていた。

全然違ってびっくりした*2
徳川幕府がこのままの政権体制を維持することが難しいと判断したのはそのとおりのようだが、「大政奉還」を行った徳川慶喜はそれによって朝廷に政権が移った後も、自らが政治の中心になることを画策していた。そしてそのような、いわば中途半端な政治体制の変更に対して薩長を中心にクーデターのようなかたちでNoを突きつけたのが「王政復古の大号令」だ。すなわち、徳川家を排除して天皇中心の国作りを進める、という宣言だ。

明治憲法下の内閣と、議会の権限

正直に言えば、明治憲法下でも内閣は議会に責任を持つ、すなわち議院内閣制をとっていると思い込んでいた。
違う。政党を基礎にした政党内閣が組閣された時期ももちろんあるが、それは憲法に規定されているものではない。基本的には元老院の推薦によって内閣総理大臣は選出されていた。

加えて告白すれば、明治憲法について「天皇に大権があり、基本的人権なんてあったもんじゃない、ひどい専制的憲法」といった認識を持っていた。
もちろん明治憲法が現行の憲法に比べ基本的人権などの面で制約が多いことは事実である。しかし詳説日本史研究にあるように、

制度上、天皇が統治権の総攬者としてもろもろの大権を握っていたからといって、明治憲法体制を「絶対主義的本質を持つ外見的立憲性」にすぎない、とみなすのは適切ではない
(前掲書、p. 359)

明治憲法下でも議会に予算審議権があり、かつ貴族院と衆議院の議決が一致しなければ予算案が議会を通過することはない。つまり、政府は増税や軍事費の増大などを議会の議決なしには通すことができなかった。じじつ、予算案が通過しないことによる衆議院の解散は何度も起きているようだ。
私が専制的に過ぎると思い込んでいた明治憲法下でも、立憲主義の考えに基づき、行政権の濫用を牽制するシステムがあったことは認識しておかなければならない。そうすると、最近の自民党改憲案に見られる、一部立憲主義を否定するような文言については残念としか言いようがない。

坂野潤治『日本近代史』の感想

日本近代史 (ちくま新書)

日本近代史 (ちくま新書)

本書は1857年~1937年までの日本近代史を「改革」(1857-1863)、「革命」(1863-1871)、「建設」(1871-1880)、「運用」(1880-1893)、「再編」(1894-1924)、「危機」(1925-1937)の6つの時代区分に分け、それぞれの時代における政治勢力の動き、政治システムの変容を詳細に記述していく。

詳説日本史研究でひととおりの流れを学習して、おおきな「時代の波」みたいなもの(どのように思想や政治状況がへんかしたか)は何となくつかむことができた。しかし本書を読むとその大きな波を拡大したときには、より小さな波が上下動を繰り返してることに気づかされる*3

たとえば幕末。「尊王攘夷」の動きが活発になって江戸幕府が滅んだ、という解説は教科書にも載っているだろう。しかしこの時代を拡大してみると、尊王・攘夷・佐幕・開国、などを主張するさまざまな勢力がせめぎ合い、紆余曲折を経て尊王および開国路線に進んでいく様が見えてくる。決して「尊王攘夷」というひとことで片付けられる動きではなかったことがわかる。
また明治初期のスローガンである「富国強兵」や「公議輿論」なども同じく、富国・強兵・公議・輿論それぞれを主張する勢力があり、「富国強兵がずんずん進みました」という状況ではなかった。


上で述べた議会の権限についての記述も本書に見られる。議会に予算審議権があるがゆえ、その運営・対策において、さまざまな勢力がそれぞれの思惑を持ちつつ、政治を進めていく。

議会に関することでひとつ印象的だったことがある。
私のいままでの認識では、二・二六事件の後は軍部が権力を握り日本は戦争に突入していったのかと思っていた。しかし本書の最後のほうで解説されているが、二・二六事件直前の1936年2月総選挙では議会は「左揺れ」を経験した。すなわち反ファッショを掲げる民政党が躍進したのだ。そして二・二六事件鎮圧の後にはこの議会で反ファッショ・反軍国主義勢力が軍部に対して反撃をしたのだ。

もちろんその後の歴史を見ればわかるとおり、その時点で四分五裂していた国内指導勢力は戦争を回避できず「崩壊」の時代へと進んでいく。しかし、1930年代以降、軍国主義において戦争に突入していったと思い込んでいた私にとっては、本書を読むことで自らの不勉強を恥じ、そして歴史をできる限り正確に見ようとしなければ、そこから間違った教訓を引き出してしまうのではないか、という恐れのようなものを感じるのだった。

日本近代史 (ちくま新書)は新書でありながら、寝っ転がりながら一読して「へーそうなんだー」などといえる本ではない。私にはまだ難しすぎた。しかし、今後歴史に対する意識を高められたとう意味で、今読んでおいてよかった、とも思った。

*1:私は中学校歴史の知識程度しかないから~などといったが、それは中学校時代教えてくれた先生方に失礼かもしれない。私がちゃんと話聞いてなかっただけかもしれない

*2:そんなこともしらないのかアホというつっこみは至極もっともであります

*3:正直私はその小さな波の上下動についていけず、本書を読み終わったものの、読み終えた感覚が全く持てない