【読書】安倍首相はなにをしようとしているのか/豊下楢彦 『集団的自衛権とは何か』

朝日新聞デジタル:集団的自衛権の行使容認 解釈変更は来春以降 政府方針 - 政治


安部さんが首相になって以来、集団的自衛権についてのニュースがときたま目に留まるようになった(前回首相になったときもそうだった)。安倍首相は憲法解釈を変更し、集団的自衛権行使の全面解禁をめざしているという。そしてそのための私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇、座長・柳井俊二元駐米大使)を設置し、提言をまとめさせようとしている。



歴代政府がとってきた政府解釈を(むりやり)変更し、軍事行動の可能性をひろげかねないこの話題だが、いまいち議論が盛り上がっていないように感じる。最近では秘密保持法案の議論が「こんな大事な法案なのに議論がされてないじゃない!」と少し盛り上がったが、集団的自衛権は(比較する問題でもないが)秘密保持法案都と同じく、もしくは以上にクリティカルな問題だと思う。

しかし重要な問題である一方で、「集団的自衛権」といわれてもわかったようなわからないような・・・という人も多いのではないか。集団的自衛権の話題ともすれば「戦争になる!」・「中国の軍事大国化が危険だから集団的自衛権解禁で防衛を!」といった極端・むちゃくちゃな話が出てきがちだ*1。以下の新書は、そうした極論を廃し、集団的自衛権を語るための、議論するための基礎を提供してくれる。

集団的自衛権とは何か (岩波新書)

集団的自衛権とは何か (岩波新書)

本書は

について、平易かつ説得力を持って書かれた良書である。

集団的自衛権とは何か

国連憲章は、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を、・・・・・・慎まなければならない」(二条四項)として武力行使を原則禁じているが、そこには例外が3つある。
国連決議による武力行使・自国が攻撃を受けた場合に国連決議がなされるまでにとれる個別的自衛権・そして集団的自衛権、この3つである。集団的自衛権は、

日本においてもほぼ通説とされているのが、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃をされていないにも七割らず、実力をもって阻止すること」という定義
(同書、p,ⅰ)

ということができる。日本政府の集団的自衛権に関するスタンスは1970年参議院決算委員会に提出された資料に見ることができる。

「資料」は、集団的自衛権について次のような結論を導き出すのである。つまり、個別的自衛権であっても右ような”制約”が課されるのである以上、「そうだとすれば、わが憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」
(p. 5)

すなわち、「国際法上保持・憲法上行使不可」が歴代政府の見解なのだ。安倍首相はこの憲法解釈を変更しようとしているが、集団的自衛権の解禁に対する賛否はともかく、変更手続きとして無理があるだろうと私でも思う。

本書では、集団的自衛権には「共通敵」の設定問題が付随することをあげる。つまり、現行の日米同盟下では「共通敵」の設定はすなわちアメリカの意向であり、そのアメリカが湾岸戦争~イラク戦争に至るまでにみせたフセインの扱いなどからわかるように、「敵」の設定がそのときそのときによって異なっている。アメリカの強い要求によって集団的自衛権についての解釈を変えるような国が、アメリカの世界戦略にNoをつきつけられるか、といえば疑問が残るだろう。
またアメリカの武器輸出などの政策が危機の拡散を引き起こしている、とする。アフガンやイラクはその最たる例だろう。イランイラク戦争時に武器提供などで支援したビンラディンやフセインはその後、アメリカの「脅威」となった。
そうしたことをふまえ、本書では集団的自衛権の解禁に反対しつつ、集団的安全保障的な枠組みで平和維持・地域安全保障を実現していく道を示す。

集団的自衛権について、より議論を

本書が示す安全保障展望については賛否があるだろう。しかし本書に書かれているような集団的自衛権の基礎知識、考え方については、この問題を議論するための土台となる。安倍首相は集団的自衛権の解禁を来年以降に先送りする、といったニュースもある。議論すべきは、議論を盛り上げるべきは、今だ。

*1:集団的自衛権を解禁すると戦争になる!という心配は極端であれ、そういう懸念が高まることは事実だろう。しかし、集団的自衛権解禁で中韓ぶっとばせ!みたいな話がでてくるのは理解不能。中国はまだしも、韓国は日本が集団的自衛権を解禁した場合、「こちらがわ」になる可能性が高い国だ。