【読書】カタルシスを求めて/茨木のり子 『詩のこころを読む』、ほか2冊

読んだ。なんとなく幸せな気分に包まれた。

詩のこころを読む (岩波ジュニア新書)

詩のこころを読む (岩波ジュニア新書)

カタルシスをもとめて

優れた詩を読むと、(それがうれしい楽しい詩であっても、悲しく暗い詩であっても)爽快感を感じることがある。筆者はそれを浄化作用(カタルシス)として、その作用を持つ詩こそ優れた詩だ、とする。本書はそんな筆者が好きな詩を並べ、「なぜ好きか、なぜ良いか、なぜ私のたからものなのか」それをジュニア新書としてわかりやすく丁寧に解説した本だ。

浄化作用を与えてくれるか、くれないかそこが芸術か否かの分れ目なのです。だから音楽でも美術でも演劇でも、私の決め手はそれしかありません。
(『詩のこころを読む (岩波ジュニア新書)』、p. 187)

「生まれて」・「恋唄」・「生きるじたばた」・「峠」・「別れ」と、49篇の詩を人生のそれぞれの場面にわけながら紹介している。

細かい説明をしすぎることなく、アカデミックにすぎることもなく、なぜ著者がその詩を読んで感動したのか、どうしてカタルシスを感じたのかをゆったりと説明してくれる。詩にはとくに興味ないなあと思っている人にも、ぜひ手にとっていただきたい一冊だ。



さて、いわゆる芸術とかアートとかいわれるものでいえば、私は最近、絵画やクラシック音楽にも興味を持ち始めた。そのうち絵画は高階秀爾本の影響で、結構アカデミックな見方が気に入っていた(たとえばあれこれなど)。一方クラシック音楽に関しては、より「カタルシス」をもとめて聴いている(とかいえる段階じゃないがたとえばこれ)。そして私の詩との接し方は、クラシック音楽とのそれに近い。

そう、詩人とは、だれもが半ば無意識に感じていながら、表現するまでには至らなかった感情や情緒や思想を、たった一つの言葉によって、この世に存在するものにしてしまう魔術師であると。
あの頃、あの詩を (文春新書)、p. 8)


言葉の魔術師によって紡がれた、魔法がかかったかのような言葉に自分の身体を通すことで、さっきまでの自分となんだか違った自分になったように感じられる。
そういう詩を見つけ、じっくりと味わっていこう。

「教科書でみたことある」詩で懐かしさをおぼえながら、言葉の魔術師のすごさを味わうには、以下の二冊で。

あの頃、あの詩を (文春新書)

あの頃、あの詩を (文春新書)

教科書でおぼえた名詩 (文春文庫PLUS)

教科書でおぼえた名詩 (文春文庫PLUS)