「縮約」トレーニングがいい感じ!+新聞社説への愚痴と仲間募集
30日で達人級の実力がつく日本語トレーニング〈縮約〉はこうやる 読書猿Classic: between / beyond readersで紹介されている「縮約」という訓練方法を、30-day challengeに追加した。
「縮約」トレーニングがアツイ!!!(私の中で)
縮約とはうえのブログ記事にもあるとおり大野晋日本語練習帳 (岩波新書)で紹介されているトレーニング方法。これを続けることにより、文章がよく読め、よい文章を書けるようになる、というものだ。
読書猿さんのページにあるとおりやり方としては単純で、新聞の社説をある一定の(しかし厳格な)字数制限の中、原文を抜き出す形でまとめること。要約とは違って元の文章を変えたり、文の順番を入れ替えてはいけない。地図の縮尺のように、原文の縮尺をつくるのだ。
これを10日ほど続けてきた。
朝、前日の新聞から社説をひとつ切り取る。毎日昼休み、ご飯を食べ終わったあとに縮約する*1。
日本語練習帳 (岩波新書)では1400字ほどの文章を400字に(30%)、という紹介がされている。最近の社説はだいたい900字強なので、字数制限を280字としている。
まだ10日ほどだが、この縮約トレーニングが良い感じ。どう良い感じかというと、文章を読むときに「なにが、どこがこの文章の骨格なのか」ということを強く意識し、それを見抜く鋭さが少し身についてきたと感じるのだ。
900字強を280字にするので余計な解説や例示、横道にそれた文などを捨てて、その社説が言いたいこと、社説全体の構成を崩さない最低限度の骨格を取り出す必要がある。そのための姿勢は、確実に向上している(と思いたい)。
しかし、毎日新聞の社説を読んでいると、どうも社説に対する不満が募ってくる*2。
というわけで、その不満を2つ、あげる。
新聞社説への愚痴
※朝日しか読んでないので朝日社説に対する愚痴なんだけど。
① 主張がわかりにくい
社説というのはあるトピックに対して、その新聞社の主張として載せるものだろう。それなのに、肝心の主張がとらえにくい社説が多い。
(社説)教科書検定 「重大な欠陥」の欠陥:朝日新聞デジタルなどはまだよくて、「萎縮させる「改革」」というのが曖昧であるものの「やめるべき」と主張されている。しかし、(社説)公共放送 政治では変えられない:朝日新聞デジタルだと、「これで公正・中立な公共放送が保たれるのだろうか。」と始まる。
いや「保たれるのだろうか」じゃねーよ、「保たれない!!!」ってはっきり言えよ!というところだろう。
わかる、「保たれるのだろうか、いや保たれない」という反語的表現で、社説のつかみとしてこういう表現が選択されたこともわかる。だが、1000字にも満たない社説の冒頭で、「~のだろうか」などと曖昧にされても困るのだ。
(社説)原発避難者の支援 現地事情くんだ選択肢を:朝日新聞デジタルでは、会員限定の部分に行くまでにこの社説の主張がわからない。タイトルで主張していると言われればそうなのだが、ある文章の冒頭に主張を配置するのが基本だろう。
一番びっくりしたのはこれだ。(何日の社説か忘れてしまったのだが)特定秘密保護法案の審議についての社説で、「議論が尽くされていないよねー」という論が展開されて、最後に一言、
「やはり、廃案にするしかない」
と一言申して締めくくられていた。
えええ!まあ確かに法案に否定的な論調だったけど、いきなり廃案の話かよ!審議残り期間の話もせずにそれかよ!と思ってしまった。
これもまあわかるんだ。議論が尽くされていない中、国会の会期はほとんどない。今国会で成立しないことはすなわち、廃案にすると言うことだ。それを「やはり」という接続詞(?)込めているのだろう。
しかし「廃案にすべき」という強い主張であればなおさら、社説冒頭でしっかりと表明する必要がある。
主張、わかりやすくはっきりと主張してください。
「といわれても仕方あるまい」がイライラする
社説を読んでいると頻出の表現がある。それが「~と言われても仕方あるまい」という表現だ。
11/22の社説「秘密保護法案―「翼賛野党」の情けなさ」の冒頭にも出てくる。本社説の趣旨はこうだ。
特定秘密保護法案の修正について、野党がポーズだけの抵抗を見せ、結局は与党自民・公明案からさほど変わらない、与党に都合のよいところに妥協してしまった。そんな野党はいらない!!といった具合。
すなわちこの社説の主張は「いまの野党は翼賛野党だ!そんなんじゃ野党の役割果たせてないよ!」というものだ。
それにもかかわらず、
このままでは自民党の「補完勢力」どころか「翼賛野党」と言われても仕方あるまい。
(朝日新聞11/22朝刊社説「秘密保護法案―「翼賛野党」の情けなさ」より)
「仕方あるまい」じゃなくて、「翼賛野党である!」と言い切れよ!とおもわず突っ込んでしまった。
石原千秋氏も大学生の論文執筆法 (ちくま新書)のなかで「最も嫌い」な表現として「~と言われても仕方あるまい」をあげ、こうした表現が選択される理由を以下のように述べる。
どうしてこういう腰の引けた無責任な表現をするのか、僕には実は理解できる。自分の言葉で批判して「責任」を取るのが厭なのだろう。あるいは、自分の言葉で批判して再批判されるのが怖いのだろう。
大学生の論文執筆法 (ちくま新書)、p. 58
こうした「責任取りたくない」心性にくわえ、そもそも言い切る文体に我々がなれていない。言い切るほどロジックを積み重ねる余裕がない。いろいろと考えられるが、社説は言い切ってナンボだろう、と思う。うえから目線で申し上げれば、がんばっていただきたいところだ。
といいつつ、これは反面教師としてとらえたい。私も言い切りは苦手で、どうしてもちょっとはずした、ぼかしたように書きたくなってしまうし、実際そうやって書いている自覚がある。
自らの主張を言い切ること、そしてそのために十分な思索と、緻密なロジックを積み重ねること。
縮約トレーニングを続ける中で、意識していかなきゃなあ。
仲間募集
縮約トレーニングは、ひとりで黙々とやるのも楽しいのだけれど、添削してもらえないし作成した縮約に対するフィードバックが何もないのは少々寂しい。
縮約トレーニング興味ある人いたら、ぜひ一緒にやりたいなーと思っている。週1日くらいでお互い作った縮約を交換してコメントするとかできないかなーと思っている。けど、まわりにつきあってくれそうなひとはいないなあ・・・誰か一緒にやりませんか。