英語の授業で英語を使うべきなのは、生徒だという話

英語の授業が中学校から英語開講になり、日本の英語教育はこれからどう変わるべきか:GREAT GEEKS:ITmedia オルタナティブ・ブログ

冷静な論調で、まあその通りかと。

指導者の育成やその能力の向上は、英語の授業を英語でやろうとそうでなかろうと、以前から重要な課題だ*1

ただ、記事中で3点気になったことがあるので、コメント。本筋からは外れるかもだけど。

1.『Immersion Program』について

記事中、

今回文部科学省が取り入れようとしているのは、言語教育学で言う『Immersion Program』というもので、文字とおりimmersion(浸る)ように英語にどっぷりつかり、英語を英語で学ぶという教授法のことです。

とあるが、これはちょっと違う。
Immersion Programというのは学習者の母語以外のある言語で、「通常の教科」(算数とか社会とか)の授業を行うバイリンガル教育プログラムのことだ。英語の授業を英語でやるのはただ単に、Teaching English in Englishである。

2. 英語にどっぷり?

同じ部分だが「英語にどっぷりつかり」とある。しかし、授業で使用する言語を英語にしたところで、英語づけにはならない。それは中学英語の授業における教員および生徒の発言量を思い出してもらえばわかるはずだ。

3. 置いてけぼりになるのは生徒、にならないでほしい

「英語どっぷり」とも関連するんだけど。

日本人の英語教師で英語を英語で教えられる人がどれくらいいるでしょうか?(中略)どれだけ素晴らしい英語教育のカリキュラムがあろうと、それを教育の現場で実践するのはあくまで教師です。カリキュラムだけが先行して、肝心の教師が置いてけぼりになっていないか、一抹の不安を感じずにはいられません。

この箇所にけちをつけたいわけじゃないのだけれど、こういう「英語の授業を英語で!」に関する議論になると往々にして、「教師が英語できるのか?!」、「英語でやって内容を理解できるのか?!」という議論になりがち。

しかしながら、「英語の授業を英語で」といったときに、最も重要視されるべきなのは「教師がどれだけ英語をしゃべれるか」ではなく、「生徒の、その授業の中での英語使用量をどれだけ多くすることができるのか」だ。生徒を置いてけぼりにしてはいけない。

英語の授業を英語でやって、英語ペラペ~ラな先生が、スーパーフルーエントでエクセントな英語でまくし立てたところでほとんど意味がない。生徒にとってはインプットになるかも知れないが、しかしそれも理解可能なインプットでなければ、どうしようもない。

中学校の英語の授業であれば、いわゆる「ペラペラ」(なんていいたくないんだけどちょっと表現の仕方が思いつかないので・・・)でなくても、十分英語による授業運営を行えるのではないか。より大事なのは、そしてより難しいのは、教師がどれだけ生徒に英語を使わせることができるか、だ*2。生徒が授業中に英語を使い、その言語形式と意味、コンテクストを理解できる、そうした環境を「英語の授業を英語で」がどれだけ作り出せるか、だ。

英語教員の英語力に関しては、引き続き高めてほしいし、高めるべきであろう。しかし一方、限られた語彙、難易度の低い英語のみで授業を運営し、そして生徒に英語を使わせることのできる能力、それをひきつづき(英語教員の方には)求めていってほしい*3

最終的に英語の授業で英語を使わなければならないのは、生徒だ。

*1:ただし私は必ずしも、現在の英語教員の能力が低いといいたいわけではない。どんな英語教員であろうと、日々研鑽をつんで、今まで以上になってほしい、ということ

*2:そしてこれは英語力がそんなに必要ない、ことは意味しない。むしろ中学生に合わせた英語をつかう柔軟な英語力?が求められる

*3:現在も英語の授業を英語で行う、すぐれた実践者がたくさんいることは、知っておかなければならない