【読書】「考えさせられる」なんて言えない/青木理 『絞首刑』 Part 1
青木理さんの著書をはじめて読んだ。その筆致と内容の重さに、思わず唸ってしまう一冊だ。
- 作者: 青木理
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/11/15
- メディア: 文庫
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概要
本書は、著者が取材を通してイメージした死刑執行の「平均的情景」から始まる。刑務官・教誨師・検事・・・それぞれの視点から眺めるその情景は、それぞれの立場を反映しつつ異なるものとなるが、どれも重苦しく、悲しい。
その後本書は「木曽川・長良川連続リンチ殺人事件」とその加害少年(当時)3人についての記述、事件当時から現在までの心情の変遷を中心に進んでいく。その合間には他5つの殺人事件を取り上げ、その加害者(死刑囚)、それぞれの事件の被害者、それに加えて加害者/被害者家族・親族、弁護士、刑務官、教誨師・・・事件と死刑執行に関わったさまざまな関係者の心情とその変遷を追っていく。
そして、「死刑」とはいかなるものなのか、死刑という刑罰に否応なくかかわらざるを得なくなった人々への取材を通して、その実態に迫ろうとする。
考えさせられるというよりも、わけがわからない
関係者への取材で明らかになるのは、関係者それぞれが抱える感情の深遠さだ。
加害者が抱える反省・後悔の念、司法システムへの憤り・諦め、被害者が抱える悲しみ・苦痛・そして許せはしないものの、加害者との対話を通じてわき上がる、「何か見えてくるのでは」という感情・・・。
それらの記述を前にして、私は正直どうしようもなくなってしまった。。
ある死刑囚は後悔に後悔を重ね、それを感じた遺族とのふしぎな交流を実現する。
そしてついには遺族が恩赦申請をするまでになる。しかしその一方、同じ事件によって子供を殺害された別の遺族は、今も加害者への憤りに包まれ、極刑を望む。
ある死刑囚は熱心なクリスチャンとなり、みずからの罪と向き合おうとする。
しかし、そんな彼は12月25日に処刑される。
ある死刑囚は当初反省の念を持ちながら、あまりにずさんな日本の司法のあり方に怒り、「死刑を受け入れる代わりに反省しない」と開き直りともとれるような態度を取るようになる。
ある事件では導入当初で制度が不確実とされたDNA鑑定が証拠のひとつとなり、その被告人は処刑される。
弁護人は無実を証明できなかったことを悔い、著者は「足利事件 - Wikipedia」によってDNA鑑定が問題視される前に処刑を実行したのではないかという恐ろしい「仮説」を提示する。
ある遺族は、加害者に対する極刑を望む。
しかしその執行によって救われるのは自分たち遺族ではないことを、心の底ではわかっているのかも知れない。
そもそも、誰も救われないのかも知れない。
死刑はなんのためにあるのだろうか。
「死刑」にかかわるすべての人がさまざまな思いを抱え、誰かが傷つき続ける。
刑の執行は誰かを救うものではないのだと、当たり前のことを本書は再度痛感させてくれる。
本書を読んで私は「考えさせられる」などといったありきたりの感想すら口にすることが出来なかった。
出来たのは、死刑にかかわるひとたちが抱えるその感情の深遠さと複雑さに、ただただ唖然とすることだけだった。
Part 2へつづく。