【読書】クラシックとはなにか/岡田暁生『西洋音楽史』
クラシックの歴史について、概略を頭の中に入れようと思って手に取った。それがうまくいったかどうかは、Yes and No、といったところだろうか。
- 作者: 岡田暁生
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2005/10
- メディア: 新書
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なお、本書の流れに沿ってyoutube画像を貼りながら紹介してくれているエントリとして、【書評】「聴かずにわかるクラシック」!? でも、おら聴きてぇ!/「西洋音楽史」 - マトリョーシカ的日常がおすすめ。
西洋音楽芸術とクラシック
まず著者は西洋音楽芸術とクラシックを区別する。
西洋音楽芸術とはグレゴリオ聖歌など中世の音楽から数えて1000年以上の歴史がある。一方クラシックとは18世紀~20世紀初頭の200年間の音楽、すなわち西洋音楽芸術の歴史の中の、一部分を占める音楽を指す。
そして「芸術音楽」とは「楽譜として設計された音楽」=書かれたもの(écriture)的性格を持つもの、と定義する。
西洋音楽芸術の歴史は、この音楽を楽譜として設計していく歴史、ということもできる。
中世から20世紀までの流れを概観
さて、本書の構成は非常にオーソドックスだ。
記述は中世のオルガヌム(合唱の技法)に始まる。
ルネサンス・バロック・古典派・ロマン派・世紀末~第一次大戦前・20世紀と各時代ごとの特徴を紹介しながら、音楽がどのように発展してきたのかをわかりやすく、明快に示してくれる。
たとえば、「音楽を聴く/聴かせる対象」の変遷については次のように流れていく。
中世の音楽*1は宗教的場面に限られた音楽だった。しかしルネサンス期になると、「音楽を楽しんでいいんだ!」という感覚が芽生えはじめ、安心感・開放感がその音楽に反映される。
バロック期は絶対王政の時代と重なる。この時代音楽は王権を飾り立てるためのものであった。決して音楽芸術は「目を閉じて椅子に座ってゆっくり聴く」ものではなく、貴族がみずからの威厳を示すためにBGMとして流すもの、という性格も多分にあったようだ。
古典派の時代になると音楽芸術は貴族だけのものにとどまらなくなる。市民のための市民の心に訴える音楽が現れる。すべての人に開かれた音楽、それはベートーヴェンの交響曲第九番の「合唱」に見られる。「1万人の第九」などもあるように、あらゆる人を取り込める、そういう音楽が出現する。
ロマン派の時代には「市民を感動させる音楽」が盛り上がる。そのために、和声に思い思いのうねりと色調がそなわるようになる。
そして19世紀末~20世紀にかけて、ロマン派からの決別そして音楽芸術が時間をかけて発展させてきたさまざまな技法を破壊するような動きがでてくる。そのなかで聴衆は、置いて行かれてしまっているのではないか・・・と著者は問いかける。
中世からロマン派にかけてはわかりやすく、西洋音楽の何となくの歴史が見えてきたなーという感覚を持つことができる。しかし、問題はその先にあった。
「現代音楽の歴史」は可能なのか
筆者は最終章のなかに「「現代音楽の歴史」は可能か?―第二次世界大戦後への一瞥」(p. 218)という1小見出しを用意している。
ここで筆者は第二次大戦後の音楽史も、これまでと同じやり方である程度記述できるとする。すなわち作曲の技法・時代精神、そうした切り口から現代音楽を語るということだ。それもできなくはない、という。
しかし筆者は以下のように主張する。
しかしながら私自身は、二〇世紀後半に起きたことを理解する上で必要なのは、こうした語り口自体を疑ってかかる視点ではないかと思っている。(中略)今日もなお、古典派やロマン派の時代と同じく、音楽史の主役は本当に作曲家であり続けているのか?根底から何かが変わってしまって、二〇世紀前半までを説明するのと同じ論法では、もはや音楽史を把握しきれない状況が起きているのではないか?そもそも二〇世紀後半の音楽史は、それまでと同じ意味で、まだ「音楽史」であり続けているのか?
(pp. 220-221)
ストラヴィンスキーやシェーンベルグに見えるように、それまでの伝統的な音楽を壊そう、もしくは壊した中から新たな音楽を見出そうとする動きがある中で、音楽史の記述方法が「それまでの方法」にとどまってしまっているのではないか。そしてそれは現代音楽を語るときには、不適切になるのではないか。
本書はこのように「語り口」を疑って、終わる。
結局よくわからん!になる
20世紀美術 (ちくま学芸文庫)を読んだときもそうだったのだが、現代芸術は正直、よくわからない。
そもそも現代芸術をよくわかろうとする姿勢自体おかしいのかも知れないし、現代芸術はよくわからないものなんだ!といわれればそれまでだが、本書『西洋音楽史』のように19世紀までの歴史に関してはド素人にもなんとなくわかった気にさせることができる本でも、20世紀に入るととたんに訳がわからなくなってしまう。
まして本書では20世紀音楽史の語り方自体を疑っちゃっているものだから、もう私はパッパラパーだ。
美術に関しても音楽に関しても、その歴史をまとめようとしたとき、最後は輪っかが閉じるような感覚ではなく、閉じると思っていた輪っかの先が、果てしなく先まで閉じぬまま続いているのを理解し、とりあえず途方に暮れるのが、正しい素人のあり方なのかな、などと思った。
なお、現代音楽はよくわかりませんが、Simeon ten Holtの"Canto Ostinato"はなんか好きです。