「新入生の気持ちを考えないのか」が明日の江野氏をうむ
高校の先生が勤務先の入学式の日に休暇を取り、自分の子どもの入学式に出席した、そしてそれに議員さんがかみついた、というニュースが話題になっている。
教員一人が休んだところでそれほど大きな騒ぎにはならないのかも知れないが、この教員が新1年生の担任だったこともあり、たいそう盛り上がってしまったようだ。
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ネット上でもいろいろなひとがさまざまなことを言っておられるのでいまさら私があれこれ書くことでもないのだけれど、最初にかみついた(とされる)江野幸一県議(刷新の会)の
「担任の自覚、教師の倫理観が欠如している。欠席理由を聞いた新入生たちの気持ちを考えないのか。」
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新入学生の思いも考えず私事の都合で簡単に職場を放棄する態度には憤りを感じざるを得ませんでした。
江野 幸一 - タイムラインの写真 | Facebook
ということばがどうもひっかかったのでそのことについて2点ほど。
新入生はどう思っていたのか
江野県議は「新入生の気持ち」といっているが、「新入生は入学式に担任がいなくて、それも自分の子どもの入学式に出席するという理由で休んで、悲しさと怒りという感情を持った」ということだろう。以後この前提で話をする。
実際新入生はどう思っていたのだろう。
「担任の先生はご自身のお子さんの入学式と日程がかぶったため、今日はお休みです」といわれたら「へーそうなんだー担任の先生も私たちと同じくらいの子どもがいるのねー」と私なんかは思いそう。
えー担任の先生いないのかよーくらいの声は上がるだろうが、実際新入生の多くはそれほど大きな問題としてとらえていないのではないか、というかそもそも「問題」としてとらえていないのではないか。
「新入生の気持ちを考えないのか」が明日の江野氏をうむ
江野県議は「担任の先生はご自身のお子さんの入学式と日程がかぶったため、今日はお休みです」といわれたら新入生たちは残念に思い、なかには憤りを感じるひともいると思ったのだろう。
なぜそう思うのか。なぜ高校新入学生が自らと同じ(下品で愚かで有害な)考えを持っていると思うのか。
「新入生の気持ちを考えないのか」などという新入生の気持ちへの想像力を欠いたことばが、新入生がこれから生きていく世界に「教員なら滅私当然!!」という空気を醸成する一因になる。そのことがわかってないらしい。
また、もしかりに新入生の一定数がこの担任について「教師なら仕事優先しろよ!」といった考えをもっていたとしよう(もしそうなら非常に残念だが)。とすれば、まだ仕事や働くということをそれほど深刻に考える機会が少なかったであろう高校新入生にそうした思想を植え付けたのは、間違いなく「新入生の気持ちを考えないのか」などとのんきなこと言っている人間と、その人間および我々が暮らすこの社会の空気なんだろう。