文を書くとは、動くこと/『文章の書き方』・『文章のみがき方』

辰濃和夫著の2冊、一気においしくいただきました。

文章の書き方 (岩波新書)

文章のみがき方 (岩波新書)


机に向かってモノを書くときのテクニック・姿勢だけではなく、日常において「書き手」としてどう振る舞うべきかを教えてくれる本だ。

1994年に出版されたのが『書き方』、その姉妹編として2007年に出版されたのが『みがき方』だ。

『文章の書き方』の帯にはこう書かれている。

すぐに役立つ助言から「文は心である」論まで

この2冊についてのすぐれた一文要約だと思う。

「書き手」のあるべき姿勢は漢字五文字

『書き方』は大きくわけて3つの章からなる。

  • 一<広場無欲感>の巻―素材の発見
  • 二<平均遊具品>の巻―文章の基本
  • 三<整正新選流>の巻―表現の工夫

意味がよくわからない漢字五文字はそれぞれ以下のものの略称だ。

  • 広場無欲感→「広い円」・「現場」・「無心」・「意欲」・「感覚」
  • 平均遊具品→「平明」・「均衡」・「遊び」・「具体性」・「品格」
  • 整正新選流→「整える」・「正確」・「新鮮」・「選ぶ」・「流れ」


<平均遊具品>と<整正新選流>はどちらかというと「すぐ役立つ助言」の部類だ(「平明」や「正確」などはそれだけで内容が伝わってくる)。一方<広場無欲感>はすなわち「文は心」論である。

たとえば広い円、視野を広く持って自分の視点を狭きに押し込めないこと、であったり、現場、コトが起きているところに自ら足をはこび、その目で見る・・・

机に座り、PCに向かって、さあ書こう!とするときの技術論ではない。そうではなくて、PCに向かいキーボードをたたき、紡ぐためのことばを探し出す術を、心構えを教えてくれる。

どうやって日常をすごせばいいのか。それは視野を広く持ち、五感をフルに使い、そして物事が起こっている現場をその眼で見ること、感じることだ。

文を書くとは「動詞であること」

『みがき方』も同様に、文章を書く際の具体的なアドバイスをちりばめながらも「文は心」論を中心にすえる。
本書は4章構成だ。

  • Ⅰ 基本的なことを、いくつか
  • Ⅱ さあ、書こう
  • Ⅲ 推敲する
  • Ⅳ 文章修行のために

Ⅱ~Ⅳについてはちょっと具体的な文章アドバイスだ。たとえばⅡの「辞書を手もとにおく」・「わかりやすく書く」・「抑える」、Ⅲの「削る」・「比喩の工夫をする」、Ⅳの「低い目線で書く」・「渾身の力で取り組む」など(これらアドバイスももちろん有用なものばかりだが、決して体系的にまとめられているものとはいえない。その点で『理科系の作文技術』などのようないわゆる文章の書き方技術本とは一線を画す)。


一方こちらもⅠは書き手としての心構えを説く。
たとえば「毎日、書く」、「乱読をたのしむ」、「歩く」、「小さな発見を重ねる」などだ。

すぐれた書き手となるためには毎日書き続け、さまざまな本を読み、そして外を歩きそのなかで感じた小さな発見を大切にしていく・・・。明日から小さな発見重ねよう!!!


無理だ。発見しようとして発見できるものではない。しかし、歩かなければ、発見しようとしなければ、何も見つからない。その意味でまさしく本書は技術論ではなく、「心構え」についての本である。


また、上にいくつか抜き出した章名や節名をみてわかるとおり、『みがき方』は『書き方』のそれと比べ、動詞の割合が多い。筆者はこう書いている。

目次を見ればおわかりのように、三十八の章はいずれも動詞を拠にしました。動詞の連なりが、果てのない道の、ささやかな道しるべの役割を果たしてくれることを念じています。
(p. ⅲ まえがき)

動詞の多用は、「道しるべを示したい」という筆者の心遣いとともに、「文章を書くとはすなわち動くことなのだ」という筆者の信念の現れのように感じてならない。


文章の書き方 (岩波新書)

文章の書き方 (岩波新書)


文章のみがき方 (岩波新書)

文章のみがき方 (岩波新書)