【読んだ】すぐれた大学誕生ドキュメント/『大学の誕生(上)』・『大学の誕生(下)』

これはおもしろい(very interesting)!
新書なのに400ページ、しかも上下巻の本書を、一気に読んでしまった。
エンタメ本ではなく、学術書の空気をまとっている本なので、途中細かすぎる記述もある。しかしそんなところはサクッと読み飛ばせばいい。読み飛ばせばいいから、とりあえず手にとって、本書のおもしろさを感じてよみんな!といいたくなる本だ。

大学の誕生〈上〉帝国大学の時代 (中公新書)

大学の誕生〈上〉帝国大学の時代 (中公新書)

大学の誕生〈下〉大学への挑戦 (中公新書)

大学の誕生〈下〉大学への挑戦 (中公新書)


本書は明治以降の、日本の高等教育の発展を丁寧に、かつ詳細に記述する。

上巻で語られるのは明治10年の東京大学設立物語であり、東京大学成立までの道程、帝国大学としての整備、そしてその帝国大学を頂点とした教育システムの中に、次々と現れる私立の「専門学校」の発展物語だ。

続く下巻で描かれるのは、明治36年の専門学校令から大正7年の大学令(帝大以外の官公私立の大学の設置を正式に認める)までの流れだ。

流れだけを書けばたったこれだけ。だがこの流れのなかには、さまざまなファクターの絡み合い、いろいろな思惑のぶつかりあい、時代との関わり合いがあることがわかる。非常に複雑、しかしその複雑な絡みのなかから、日本の高等教育がだんだんと姿を現しカタチを作っていく様は、ワクワク感を覚える。

本書は、日本の高等教育の歴史をワクワクしながらたどれる、良質のドキュメンタリーだ。


特に興味深かった点は二つ。「専門学校」の話と、「アメリカモデル/ドイツモデルの選択」のお話。

「専門学校」の重要性

明治以降の高等教育制度整備の歴史を語るためには、まず帝国大学(東京帝国大学)の設立とその発展を中心に据えざるを得ない。しかし同時に、帝国大学の周辺に発生した公私立の大学および専門学校の発展を抜きにしては、その全体像を見誤ることにもなる。それが上下巻を読み通して著者が強調するポイントの一つだ。

それもそのはず、明治維新後の学校制度発展は、「専門学校」(日本型グランド・ゼコール、すなわち専門家・官僚育成機関としての専門学校)から始まったとも言える。その後日本型グランド・ゼコールが帝国大学に吸収され消滅しつつも、急増する教育需要に答えるために設立される私立専門学校が昭和期以降「大学」として、今日の高等教育の基盤を作ってきたことを見れば、その重要性は極めて大きかった。

「アメリカモデル/ドイツモデルの選択」

もう一つ興味深かった点は、日本の大学が「アメリカ・アングロサクソン・モデル」か、「ドイツ・ヨーロッパモデル」かという選択を、高等教育制度黎明期から考えていたという事実だ。現在から当時の教育システムを見れば、政治体制などと同じく、ドイツのそれを取り入れていることがわかる。しかし、戦前の日本においていわゆる「アメリカモデル」の教育システム導入が検討されなかったわけではない。少なくない人が少なくない時間をかけてアメリカモデルの導入を検討し、実現をしかけたものもあった。

戦前は結局ドイツ・ヨーロッパ・モデルの勝利となったが、敗戦後突如アメリカモデルの導入という決着がなされた。すなわち、戦後のアメリカモデル導入は、戦前との「断絶」を示すものではなく、戦前燻り続けたアメリカモデルの(外圧・共生による)勝利と見るべきものなのだ。

現在へつながる物語

現在大学は大きな変革の流れの中にあると言われる。その大学を考えるために、現在の大学の姿だけを見ていればよいのか。日本における大学の歴史をたどることも必要なのではないか。
いやそもそも、本書が紡ぐ大学の誕生物語は現在の大学を考えるための知識なのではなく、現在の大学そのものはその物語の一部でしかないのだろう。

天野は最後にこう述べている。

きわめて現代的な改革問題の多くが、その短い歴史のなかにルーツを持っているのではないか。現代的と見える問題の多くが、実は歴史的問題ではないのか。
(p. 415)

本書は現代の大学における諸問題についてのテキストとしても、きっと有効なのだ。





大学の誕生〈上〉帝国大学の時代 (中公新書)

大学の誕生〈上〉帝国大学の時代 (中公新書)

大学の誕生〈下〉大学への挑戦 (中公新書)

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