歩きスマホが不快なのは「視線」が合わないからだ
神経質なこと書きます。
歩きスマホ、すなわち携帯端末をいじりながら歩く行為はとても危険、ということで駅などでは「歩きスマホおやめくださーい」とアナウンスが流れるようになった。
まあ、危ないよね。
前見ないで歩くわけだし、駅のホームでやって人とぶつかったり、それで線路に落ちたり(落としたり)したら命にもかかわる。
知人に歩きスマホしている人がいたので「やめなよー」と注意したことがある。するとその知人は「大丈夫!ちゃんと前は見えてるんだよ。」という。
私が「いやいや全然見てないでしょ」というと知人は「いーや見えてるんだよ。ちゃんと画面見ながらでもまわり見えてるし。ぶつかりそうになったり危なくなったら避ける」という。
見えているならいいのかなぁ~などと私は思っていたのだが、街中で歩きスマホしている人が前から歩いてくると、ものすごくイライラしている自分に気づいた。
なんでだろう、マナーを守らない輩に対する怒りというわけじゃない。別にぶつかったこともない。
では、なんでだろう。なんで自分がこうも歩きスマホに不快感というかイライラを感じるのか考えた。
結果、歩きスマホしているひとと「視線」があわないことによって行動予測が出来ないこと、そしてそれによって本来「共同作業」であるすれ違い行動を、私一人に投げられている!という認識がイライラを引き起こしていたと結論づけた。
歩行中対面する人とのすれ違い方
道を歩いていて正面から他人が近づいてきたとき、私たちは衝突しないよう回避行動を取る。
その行動には単純にわけて、2パターンある。
ひとつは相手が自分のコースからはずれる、すなわち相手が避けてくれる場合だ。
もうひとつは、自分がコースから外れ、相手を避ける場合だ。
そのどちらかの行動がなければ私と相手は正面衝突してしまう。
では、どちらの回避行動を取るか判断するときの決め手は何だろう、と考えるとそのひとつに相手の動き・視線がある。
相手と対面したとき、相手と目が合いそして相手がどのように顔や体の向きを変えるか、それを一瞬のうちに把握し私たちは衝突を避けるためどのような回避行動を取れば良いかを判断する。
「あ、相手と目が合った。私が近づいていることを把握してくれたな。あ、体が若干横に向いた!私を避けてくれるんだな」
もしくは
「あ、相手と目が合った。私が近づいていることを把握してくれたな。体の向きはそのままだな。私が横にずれて回避するか」
といった感じだ。
街中で他人とすれ違うときには、お互いいろいろと把握したり判断したりして衝突を回避している。大げさに言えば、他人と「共同作業」をしながら、快適にすれ違うように努力している。
歩きスマホから感じる「投げられた感」
ところが歩きスマホをされると、これができない。
自分の歩くコースと歩きスマホ野郎のコースが一致しているとき、本来であればできる回避行動判断ができなくなる。
まず、相手と目線が合わない。正面から歩いてくる自分を認識してもらえない。
そして、認識してもらえないのだから、歩きスマホしている相手のアクションに期待できない。相手が回避行動を取る可能性はゼロになる。
「気づいてもらえないならお前がそっと回避行動取ればいいじゃん」と言われるかもしれない。
そうだ、私が回避すればいい。
でも、なんだかイライラするのだ。
たぶん、正面衝突を回避するという本来私と相手との「共同作業」が、歩きスマホ野郎によって「お前一人でやっとけバーローwwwww」と、私一人に投げられてしまっている感が、すごく不快なんだろうと思う(私にとって)。
歩きスマホしている野郎は、他の人に判断を丸投げして自分は楽しようとしている自分勝手なやつだ!と思えて、歩きスマホにすごくイライラしていたようだ。
顔をあげて歩こう
自分で書いてて思うわけです。ああ神経質だなあ、と。
単純なことなにぐちぐち考えているんだと。
でもやっぱり、歩くときは正面向いて歩いた方が良いと思う。自分もまわりがよく見えるし、正面から来る人と目を合わせることによって私みたいな神経質な人ともうまくすれ違うことができる。
相手と視線が合わなくなるから、歩きスマホやめましょう。
同じ理由で、サンバイザーして自転車乗ってるおばちゃんとか、ポケットに手を突っ込んで伏し目がちに肩怒らせて歩く厨二とか、涙がこぼれないように上を向いて歩く人とか、ちょっと困るんですね(まあサンバイザーは仕方ないか)。
前向いて歩きましょう。