「自分の好きなこと」の価値を、自ら貶めることはないよ

私は知っている、君がその「趣味」とやらにどれだけ熱意を持って取り組んできたのかを。
私は知っている、今度の土曜日、その「趣味」に関する大きなイベントがあることを。
私はわかる、君が土曜出勤を命じられたときに「いやいや自分のはたいした用事じゃないので」と苦笑いしたその気持ち。

わかる、でもそんなことをしないほうがいい。自分の好きなことの価値を、自分の口で貶めるようなことはしないほうがいい。しちゃ、ダメだ。



職場の同期(以降、「同期」とする)に、ある趣味を持った人がいる。同期は仕事終わりや土日にその趣味に関する活動をしている。
そして今度の土日にその趣味についての大きなイベントがあるらしい。数ヶ月前からそのイベントを楽しみにしている、という話を私は同期から聞いていた。

しかし先日その同期に会うと浮かない顔をしている。どうしたのか訪ねると、イベント開催日の土曜日に、休日出勤を命じられたらしい。最近、急遽業務分掌が変更になり、同期が主担当として土曜日にある業務に携わる必要が出てきたらしい。

ただ、その業務に携わる社員は同期以外に数人いること、かつ必ずしもその担当が全員出勤する必要がないことから、別の社員(同期が数ヶ月前からイベントの予定を入れていることを知っていた)が出勤を変ると申し出てくれたそうだ。

ところが、このたびその業務の担当になった同期に経験を積ませたいと考えているらしい上司から「用事があることはわかるし、必要な場合はみんなで埋めていかなければならないが、今回の仕事が大事なのはわかるよね」みたいなことを言われたらしい。ようするに「身内の葬式とか、そういうのじゃなければ仕事優先しろ」と言われたわけだ。

その後いろいろやりとりがあったあと、同期は出勤を決め、最後にこう言ってその場を丸く収めようとしたそうだ。にこやかに言ったつもりだろうが、顔は引きつっていただろう。

「私の用事はたいしたことありませんので。私が出勤します」


残念だった。
同期の用事は「趣味」とはいえ、もう何年も続けてそれなりに「実績」といえるモノも出しているライフワークと言ってもイイものだ。

会社の上司にとってはたいしたことない用事だろう、でも同期にとっては「たいしたことある」用事のはずだ。
なのになぜ、「たいしたことない」などと言ってしまったのか。

気持ちはだいたいわかる、上司にいろいろ言われ(かもしだされ)、いたたまれなくなったのだろう。
でも、でもだ。自分の好きなこと大切なことの価値を―たとえその場しのぎの言葉であったとしても―貶めるようなことは言わない方がいい。


他人がその趣味をどう見ようとも、自分にとって「たいしたこと」を「たいしたことない」とはいわないでほしい、と同期には伝えた。そして私も自分にとって「たいしたこと」を「たいしたことない」ということがないようにしたい。



その同期がでるはずだった「イベント」の結果を私も楽しみにしていたため、土曜出勤によってそれがかなわなくなってとても残念に思い、書いてしまいました。


だいじょうぶ たいしたことないから

だいじょうぶ たいしたことないから