【読んだ】大風呂敷を広げた、さあ考えよう/『大学とは何か』
「大学の歴史」的な本を読んで、もうちょっと大学について歴史的な視座から考えてみたいなあと思って本書を手に取った。
【読んだ】すぐれた大学誕生ドキュメント/『大学の誕生(上)』・『大学の誕生(下)』 - やすらか生活への準備運動
タイトルが「大風呂敷」なのは著者も自覚しているところだ。蓮實重彦に「「とは何か」という原理的な問いを立てたがる人に、ろくな人間がいたためしがない」といわれようと、問いを立ててしまったものは仕方ない。
著者の吉見俊哉が「ろくな人間」かどうかは会ったことも話したことも(もちろん)ないのでわからないが、本書は「ろくな本」だ。安心しよう。
- 作者: 吉見俊哉
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2011/07/21
- メディア: 新書
- 購入: 3人 クリック: 142回
- この商品を含むブログ (15件) を見る
まず著者は本書の三つの探求の軸として次の3点を提出した。
①大学の誕生と死、そしてその再生と移植、増殖といった世界史的な把握
②コミュニケーションメディアとしての大学、メディアの一種として大学という場を考えること
③リベラルアーツと専門知の関係についての新しい認識の地平を提供すること
これらの観点から「大学とは何か」に迫ろうとする。
本書の流れ
中世欧州において都市の自由を基盤にした教師・学生の共同体から発生した大学は、都市の自由・移動の自由の時代が終焉するとともに、一度は「死んだ」ものだった。
追い打ちをかけるように、印刷技術の革新は、大学がもはや知識の伝達のために必要不可欠な機関ではない事実を突きつけた。そして近代知のパラダイムは大学外において発展したと言っても過言ではない(デカルトも、スピノザもライプニッツも、「大学教授」ではなかった)。
しかし十九世紀、ナショナリズムの高揚を背景に大学は「第二の誕生」を迎える。
欧州では「研究と教育の一致」(いわゆるフンボルト型の大学)によって、アメリカでは「大学院」の発明によって大学は再び知の世界の主役に躍り出ようとする。
明治維新後の日本は欧州型の大学システムを導入した。戦前はさまざまな種類の高等教育機関が存在する複線型の教区制度であったが、敗戦を機に高等教育を大学に一元化する、単線型の教育システムを選択した。「教養主義の牙城」ともいえた旧制高校は大学の教養部に再編された。
ただしここで気をつけるべきなのは、当時の制度設計者たちにとって旧制高校の「大学教養部化」は単なる制度変更にとどまらなかったのではないか、という指摘である。詳しくは本書を読んでいただきたいところだが、旧制高校の大学への組み込みに関しては、アメリカからの押しつけではなく、ある程度日本の制度設計者の意図=教養主義の一般教育化、が強く働いていたと考えられる。
しかし結果として、大学紛争、大学設置基準の大綱化を経た現在の日本の大学では一般教養課程はほぼ崩壊してしまっている。すなわち旧来からの一般教養という仕組み、パッケージは有効性を失ってしまった。
現行の大学制度および教育内容は、それがよってたつ前提である国民国家という概念の崩壊*1にともなって危機に瀕していると著者は考える。
大風呂敷への答えは?!
ではそんな著者は「大学とは何か」、「大学とはどうあるべきか」について本書で答えを提示してくれているのだろうか。もちろん、そうではない。
本書を通じて私は、「大学とは何々である」という究極の答えよりも、そのような定義がいかに揺らぎ、崩壊し、単なる知識基盤に取って代わられてていったのか、また新たな定義はいかに想像され移植されたのか、そうしたさまざまな定義や再定義の折り重なりが、いかに今日の大学の表面上の統一の背後で蠢いているのかに関心を向けてきた。つまり、「大学とは何か」の答えを導くことよりも、そのような問いが成り立つ複数の地平の歴史的変容をとらえたいと考えてきた。
(pp. 257-258)
大風呂敷広げといて答えなしかよ!と思わないでいただきたい。大学の問題はそんな簡単じゃないのだろう。
ただ、考えるためのヒントは示されている。
大学は、制度である以前に知識の生成や継承、革新の実践的な場である。
(p. 114)
大学とは、メディアである。大学は、図書館や博物館、劇場、広場、そして都市がメディアであるのと同じようにメディアなのだ。メディアとしての大学は、人と人、人と知識の出会いを持続的に媒介する。
(p. 258)
冒頭で紹介した軸の②にあたり、著者がやりたかった「メディア論」としての大学の語りが見える。
大学が「人と人、人と知識の出会いを持続的に媒介する」場であるとしても、中世以降は出版、そして現代においてはインターネットメディアというあまりにも強力なライバルが存在している。そうした世の中にあって大学は単に知識を伝え、出会いを媒介するメディアの主役にはなりえない。主役どころか、ほかのメディアに押されに押されて、そのうち消滅していくものかもしれない。
ではポスト国民国家の世界で、自由を保ちつつ、メディアとしての大学はどうあるべきか。いかにメディアとしての大学を守っていくか、いや、いかに新たな時代の大学を構想し発展させていくか。
現状と、そして未来への想像力を持って、大学を再発明する時期に来ているのかも知れない。
- 作者: 吉見俊哉
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2011/07/21
- メディア: 新書
- 購入: 3人 クリック: 142回
- この商品を含むブログ (15件) を見る
*1:もちろんあと数年で崩壊するとかそういうことではなく、しかし長期的に見れば衰退期に入っているという意味で