「日本の英語教育」では基本事項の練習・習得が重要だよね、と思う
[アメリカ日記14] 僕が英語話せないのは日本の教育のせい | taichino.com
教科書や試験の「素材」はそこまで悪いとは思わないけど、それの使い方というか、練習方法の問題はある気がする。
著者の悔しい気持ちというか焦る気持ちはなんとなくわかるし、別に上の記事を批判するつもりもない。かといって文科省や学校英語を全面的に擁護するつもりもないけど、ある部分が気になったのでだらだら書く。
というわけで文科省の英語カリキュラムは失敗していると言わざるを得ません。受験の為の英語を減らして、本当の英語に触れる時間を増やすべきです。細かい文法とか、ニッチな単語とか、そういうのは英語が使えるようになってから、個人個人で覚えたら良い話です。その前に実際にネイティブの人と少しでも会話をして、外国人に対する恐怖心を取り除いたり、習った英語が実際に使えるという小さな成功体験を積む方が遥かに重要な気がします。
[アメリカ日記14] 僕が英語話せないのは日本の教育のせい | taichino.com
俺はアメリカで英語がしゃべれなかった!だから文科省の英語のカリキュラムは失敗だ!
・・・とするのは無茶なロジックだが、いいたいこととしては「意味ない受験英語とかやめてもっと実践的にやろうぜ!」ということだろう。
細かい文法とか、ニッチな単語とか、そういうのは英語が使えるようになってから、個人個人で覚えたら良い話です。
これは日本の学校英語批判でよく聞く話だが、本当にそうだろうか。
英語の本(小説から雑誌、学術論文に至るまで)を読んでいると、いわゆる学校英語でやった文法項目や語彙がたーくさんでてくる*1。日本の学生が試験でお目にかかる文法・語彙は英語の運用をしていく上では基本的なものが多いような気がする。
「いやいやいやいや!受験英語とか化石みたいな構文いっぱい出てくるから!クジラの構文とかさ!」という反応があるかもしれないが、たとえば大学入試に出題されるような構文は決して「本場の英語」の姿とかけ離れたものではない、ということは以下の金谷先生の本で示されている。
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なので、私としては「文法・単語をしっかり使えるようにして、スラングとか飲み会の会話とかそういう上級レベルは個人個人で経験積むなりしてがんばればいい話です」といいたい。
ちなみに、英語をしゃべる、となるとより基本が大事になってくる気がする。私も自分がしゃべる英語や人がしゃべる英語をモニタリングすることがあるが、本当に基本的な文法事項や構文しか使っていないことに驚く。そして、それでもなんとかなってしまうのだ*2。
よって英語をしゃべる、という点だけで言えば細かい点はおいといて、とにかく簡単な文法をいかに使いこなせるか、という練習が必要にはなってくると思う。
まとめると、日本の学校英語が提供する素材自体はわるくないと思うしそれを身につけようとする必要性もあると思うが、一方より基本的な事項を「体得させる」というトレーニングは不足しているな、と考えている。
ただし、この「使えるようにする」・「文法事項を使いながら身につけていく」という実践は近年数多く行われているし、文科省もそういった方向を目指していると思う。先生方にこれからもがんばっていただきたい。
そういった取り組みがなされたところで、アメリカに行って飲み会で雑談ができるレベルにはなれないだろうが、そのレベルに到達するための基礎を、より多くの人に授けることができるのではないか。
あとさ、
最後に高校の英語の先生が言った言葉を書きます。英語教育の現状を良く表していると思います。
「僕は日本を出た事がありません。なので僕の授業を受けても英語は出来るようになりません。でも受験の英語は解けるようになります。」
とあるけど、全然「英語教育の現状」を表してないです。こんなこといわれちゃ先生方かわいそうです。先生に恵まれませんでしたねというしかないです。これいった先生はふざけてますが。
あとさあとさ、ブコメとかで「全部授業を英語にすれば良い」などというコメントがちらほらあるが、それはちょっとないよ…とため息。