【読書】新井素子『ひとめあなたに…』
- 作者: 新井素子
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2008/05/29
- メディア: 文庫
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女子大生の圭子は突然恋人の朗から別れを告げられる。自分は骨肉腫で助かりそうもない、助かるためには右腕を切断しなきゃだから、治ったとしてももう彫刻はできない・・・。そんななか1週間後地球に巨大隕石が衝突し、人類は滅亡する、というニュースが飛び込む。交通インフラが止まり、ひとびとが狂う中、圭子は朗にもう一度会うため、徒歩で鎌倉を目指す。
というおはなし。以下、ぐだぐだ感想にならない文章をはき出す。
自分の中の狂気
本作には圭子の練馬~鎌倉間徒歩の旅と、圭子が道中でであう4人の物語が織り込まれている。そしてその4人が、理解し難い狂気を放つ。愛する夫を食べて自分と同一にしようとする女、無目的を目的にして止まれなくなった少女、この世界は「私の夢だ」という少女、そして自分の子供を守りたいと半狂乱になる女。
あぁわからない、このひとたちの狂い方、わからないよ。でも、なんか、わかるような気もするんだよ。
圭子が言う。
「あたしは違う」
読んでる私もそう思うのだ。この人たちの気持ち、わからない、私とは違う。
でも、ちょっと、わかるのだ。愛する人を自分の一部にしてしまいたい、ただ続けることしかできない感覚、この世界を「自分の夢の世界だ」と思うこと。。。ただし、赤ちゃんのことに関しては「自分の子供を守りたいと半狂乱になる女」の夫が最初抱いていた感情に近いけど。
この4人、圭子の外の人じゃなくて、圭子の、読者のなかの狂気なのかなぁなどと思ったり。自分の中にすんでいる狂気に負けたくなくて、自分は違う、自分は違う・・・と。でも本当はわかっているんだ、自分のなかにあるその狂気が。
ひとつになれない
狂った人たちを通して感じるのは、「ひとつになれない・わかりあえない」ということ。夫を食べることも、この世界は夢であると考えることも、朗曰く「自己内完結」である。自分の中で完結しても、他人とひとつになったわけでもわかりあえたわけでもない。
わたしたちはひとつになれないのだ。
そう思わされたところで、最後、圭子に救われる。
あなたがあたしと同じものじゃいけないのよ(中略)あたしがいて、で、あたしでないあなたがいて、それではじめて何かおこったり―あるいは何もおこんなかったりするんだわ
ひとつになる必要はない、いやむしろ、ひとつになっちゃいけないのだ。
ふたりがいて、はじめて、何か起こるのだ。あるいは何も起こらないのだ。
ここまで読んで、私は猛烈にセックスしたくなった(すんません)。いや別になにか深遠なことを言いたいわけでは全くない。
セックスは単に合体じゃないんだ。「あなたとひとつになりたい」って1+1=1にしたって何の意味もないんだ。あたしと、あたしでないあなたが結合して、ひとりじゃ感じることのできない幸福感と快楽を味わいたい。ふたりでセックスするからこそ、何か起こるのだ。
あああセックスして何か起こしたい、そう思った。
手段としてのSF設定
この小説は1週間後に地球に隕石が衝突するというSF設定をとっているわけだが、この隕石衝突に関する描写はほとんどない。交通インフラが止まり、人々が狂い始めているという描写はあるのだが、いったい社会がどういう状態で、ひとびとがどういう心境で1週間を過ごしているのかがわかることはない。東浩紀は解説で、この設定が「セカイ系」につながるという点を指摘しているが、つまりはこのSF設定は手段なのだと、思う。
人間の狂気を引き出すための、ひとはひとつにはなれないと言うことを示すための、そしてあたしとあたしじゃないあなたがいて、何か起こるのだ(何も起こらないのだ)ということを圭子に言わせるための、手段でしかない。ちょうど、西洋美術の新古典主義・ロマン主義における写実表現が、「理想の美」や「想像力の世界」のための手段でしかないように。
最後に
小説あまり読まないけど、あー、おもしろかった(小学生以下の感想